B.B.CLOVERS コラム【甲子園の教訓】 ~New Edition~
No.8 「開幕戦敗戦、その後」

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前回のコラムNo.7では、激動の甲子園開幕戦の結末をお伝え致しました。
このコラムNo.8では、開幕戦敗戦直後からのエピソードをご紹介してまいります。
かなり長くなってしまいましたが、ゆっくりお楽しみください。

【写真:「サヨナラエラー」直前にライトを守る萩島】

今から遡ること23年前、1992年・第74回全国高等学校野球選手権大会の開幕戦、桐蔭学園 vs 沖縄尚学は延長12回、3時間50分に及ぶ激闘の末、沖縄尚学に軍配が上がりました。

なお、この3時間50分という試合時間は、今年100年を迎えた長い甲子園の歴史の中で、今も「開幕戦最長試合」としての記録が破られておりません。

さて、自らのサヨナラエラーによってこの激闘に終止符を打つ形になってしまった茫然自失の僕は、試合が終わってもまだ何が起きたのか分からないくらい、非常に混乱しておりました。

ホームベース前での整列を終え、自陣の3塁側ベンチ前で30年ぶりに夏の甲子園に流れることになった沖縄尚学の校歌を聞きます。

この時の僕の心を支配していたことをひと言で表現するならば、

「恐怖」でした。

自分が何を起こしてしまったのか分からない、「未知の恐怖」に駆られていたのです。

問題の最後のプレーをした直後は、しっかりとコントロールされたボールを返球した自信はありました。

それが、時間が経つにつれ、それこそが実は幻想であって、「本当はバックネットまでダイレクトで届くような大暴投をしたのでは…!?」と考えていたのです。

今思い出しても、その時の「恐怖」は相当なものでした。

僕は幸い今でも野球を続けていますが、あのような気持ちになることは後にも先にもない経験だと言えます。

さて、敗戦が決まった桐蔭ナインは、炎天下の中約4時間にも及ぶ熱烈な応援してくださった皆さんが待つアルプススタンド前へとゆっくり歩を進めます。

アルプススタンドの前に整列した僕は、そんな皆さんに対して、心からの申し訳なさから顔を上げることさえできません。

そんな時に聞こえてきた声はこんな言葉でした。

「萩島、よくやったぞ!!」

僕はびっくりしたと同時に、その声の主が誰かすぐに分かりました。

それは、当時僕と同じクラスで、桐蔭学園高校の応援団長でもあった齋藤 和紀くんでした。

「サヨナラエラーをした俺に、何で…」

一瞬にして目の前が涙でぼやけ、僕はその場に泣き崩れました。

必死に堪えようとしても、今までに流したこともない量の涙が溢れ出してきます。

「本当にみんなに申し訳ない、俺のせいで…」

僕にはそんな自責の念しか湧いてきません。

そして、その場を動くことのできない僕の背中をそっと押してくれる人がいました。

土屋監督でした。

監督が僕と目は合わせないものの、口を真一文字に結び、無念の表情をありありと浮かべていたことは今でも忘れられません。

この時の土屋監督、年齢は38歳。
今の僕よりも若かったのです。

23年の時を経て、今僕も指導者として選手を育て、そしてこうやってコラムを書いていることが何だか不思議な気がします。

ただ、ひとつ言えるのは、今の僕よりも当時38歳の土屋監督が発するオーラは凄まじかったということです。
まだまだ未熟ということでしょう(笑)

さて、ほとんどの選手が敗戦のショックで涙に暮れる中、何とか3塁ベンチへと戻ってきた傷心の桐蔭ナイン。
そこには高野連の役員さんたちが数名待ち構えていました。

開幕戦の試合開始から既に4時間以上が経過し、この日はさらにまだ2試合が残っているという状況で、彼らが考えることは「NHKの放送時間枠」、「照明を点灯することのないスムーズな進行」。

とにかく、早く3塁側ベンチを次のチームのために空けるように必死の形相で僕たちを促します。

「甲子園の土はもうムリだよ!!」

「泣くなら裏で泣いて!!」

…(*_*)

ちょっと…と思いませんか…?(>_<)

もしあの時代にブログが存在していたら、間違いなく「炎上」していたでしょうか…(笑)

僕らは言われた通りに甲子園の土も取らず、ベンチ裏で泣き続けました。
今思ってもちょっと理不尽ですよね。

そして、桐蔭ナインは揃って甲子園ベンチ裏の通路へと引き上げていきます。

甲子園をTVでよく観戦する方ならその光景がすぐに目に浮かぶかと思いますが、道具を持ってインタビューなどが行われるちょっとした坂の通路を上がっていくアレです。

その時、僕はたまたまその桐蔭ナインを先導するような形で、列の先頭で引き揚げていってしまったのです。

僕を見つけた十数人の大人たちが一斉に僕を取り囲みます。

「え…?何…??」

僕は大きな荷物を抱えたまま、瞬く間に身動きが取れなくなりました。

「萩島くん、最後のプレーについて一言!」

「最後は一体何が起きたの!?」 → 出来れば僕が聞きたい…(苦笑)

「今、どんな気持ちなの!?!?」

そんな、矢継ぎ早の質問が様々な人たちから何度も繰り返され、試合を終えてから未だ放心状態の僕は、当然うまくその質問に対して答えることができません。

報道陣の方々からそんな僕に対しての不満が聞こえてきます。

「こりゃラチあかんわ…(T_T#)」

えっ!?…(>_<)

ちょっと厳しい…ですよね…?

「僕はたった今、子供の頃から憧れ続けた甲子園でサヨナラエラーを犯してしまった18歳の少年なんですけど…」

と、その時は思いませんでしたが(笑)、間違いなく色々な「違和感」を感じ続けていました。

その直後、ちょっと離れたところから僕の名前を呼ぶ声が…。

「萩島くーん、ちょっとこっちに来て、お立ち台に立ってー!!」

「…えっ!?」
「お立ち台って、あのお立ち台…!?」

僕は言われるがままにNHKの人に先導され、「お立ち台」へと案内されます。
そこにはまったくこちらの意思は介在しません。

その時に「立ちたいか?」「立ちたくないか?」と聞かれたら、当然後者の心境でした。

しかし、そんなことは大人はお構いなしです。

おそらく、囲み取材でうまく答えられない僕の口から、何としてもコメントが取りたかったのでしょう。

そして、僕はその眩しさで目を細めてしまうくらいに照明が強く当たっている、最初で最後の「お立ち台」に立ちました。

その時です。

僕のカラダに「異変」が起きました。

明らかに僕のカラダから流れ落ちる汗の量が急に増えたのです。

「ポタポタ」とか「ダラダラ」とかいうレベルではありません。
まさに、「滝の様な」汗です。

瞬く間に、僕の立っているお立ち台に汗が溜まっていきます。

あの「異変」は一体何だったのでしょうか…?

おそらく一時的な精神的苦痛が伴ってのストレスによるものであることは間違いないかと思いますが、その時の汗の量は本当に異常で、その日2回目の「恐怖」が僕を襲っていました。

「俺、大丈夫かな…?」

しばらくお立ち台にて記者の方々の色々な質問を受け、僕はお立ち台を降りました。

周りにはまだ敗戦に呆然とする僕の仲間たちが座り込んでいます。

僕はその一人ひとりに涙を流しながら声をかけます。

「…ごめん…」

気の利いたことを言おうと思っても、僕の口からはそれしか出てきません。
本当に言葉が見つからないのです。

でも、そんな僕に対し、仲間たちは、

「気にするな、お前のせいじゃない」

また涙が溢れてきます。

高校野球を共にした2年半という短い付き合いでしたが、寮生活などを通しあまりにも濃い時間を共有してきた仲間たちと同じユニフォームを着て戦うのもこれが最後かと思うと、何とも言えない寂しさで胸が痛く、苦しくなりました。

と同時に、「それに終止符を打ってしまったのは俺のせいなんだ」という激しいまでの自責の念から、仲間たちに謝っても謝っても足りないくらいの違った苦しさが心を覆っていました。

ベンチ裏での帰り支度を終え、甲子園の出口へと向かう桐蔭ナイン。
急ぎ足でバスへと乗り込み、宿舎へと向かいます。

カーテンを閉め切ったそのバスの中は無言で、誰一人として口を開こうとしません。

そんな重苦しい空気の中、土屋監督が話を始めます。

「3年生、今日まで付いて来てくれてありがとう、ご苦労さん」

仲間たちの嗚咽が再び聞こえ始めました。

僕も今日既にどれだけ流したか分からない涙が再び溢れ出してきます。
と同時に、また自責の念に襲われます…。

この苦しさが繰り返し繰り返し続いてくのです。

そして、宿舎に到着した桐蔭ナインを宿舎の関係者の方々が温かく出迎えてくれます。

健闘を称える拍手の中、一人、また一人とバスを降りていきますが、試合で足を負傷した由伸は自力でバスを降りることさえできません。

「後輩がこれだけカラダを張って戦ってくれた試合を落としてしまった…」

またしてもそんな気持ちが僕の心を支配します。

そして、自分の部屋へと戻り、何気なくスイッチをいれたTV。

そこには、こんなタイミングでという偶然さでニュースが流れてきました。

「今日から真夏の祭典、夏の甲子園が開幕しました!」

「その甲子園、開幕戦から大激戦となりました!」

そんなキャスターの声が流れてきます。

そして、問題の最後のシーンが画面に映し出されます。

僕はそれに目を背けたくなりながらも、必死に堪えて固唾を飲んで画面を見守ります。

沖縄尚学・宜保選手が放った打球がライト前へと抜けていきます。

甲子園に響き渡る大歓声。

僕は前進してそれを捕球し、即座にバックホーム!

そして、キャッチャー・深田の手前でハーフバウンドしたボールは、深田の脇をすり抜け、バックネット前へと転がっていきました…。

「あ…」

僕は思わずそんな声を出した覚えがあります。

その直後に、言葉にはしなかったものの、僕を支配した気持ちはこんなものでした。

「ちゃんと投げてた…」

それは、「本当は誰が悪い」とかから来る気持ちではないのです。

自分がしっかりとバックホームしていたことを確認できたことで、自分の心の中にほんの少しだけ安堵感が生まれたのです。

その日の夕食を終え、徐々に敗戦のショックから切り替えることが出来始めた桐蔭ナインは、自然と各部屋に集まり、高校野球生活を終えることとなった感想や思い出話が始まりました。

それは、僕にとっても楽しいひと時で、サヨナラエラーの苦しさから少しだけ僕を解放してくれました。

その夜のことです。

ベッドに入った僕は、その日からしばらく寝ようとするとフラッシュバックされる「ある音」を聞くことになります。

その「ある音」とは、延長12回ウラの最後の場面で、僕が「左耳」で聞いていた1塁側アルプススタンドからのつんざく様な大歓声と、あの「指笛」です。

もちろん、これは僕の頭の中だけでしか聞こえない音です。

この日から数週間続いたでしょうか、この音が聞こえない夜はしばらくの間ありませんでした…。

そうです、その後ほとんど眠れない日々が続いたのです…。

その翌朝です。

桐蔭ナインは短かった神戸滞在を終え、この日横浜へと戻ることになりました。

この時、同部屋のメンバーが帰りに履く靴下が見当たらないからと、一緒に近くのコンビニへと行くことになったのです。

コンビニの入口には、たくさんのスポーツ新聞などが並んでいました。

僕は恐る恐るその中の1紙を手に取り、新聞を開いてみました。

その新聞の一面にはプロ野球の記事が掲載され、中の野球ページを確認してみました。
しかし、そこには「桐蔭敗戦」の記事が見当たりません。

僕は不思議に思って、新聞を一旦閉じてみました。

そうすると、僕の目に見慣れた文字が「裏一面」に大きな活字となって掲載されているではありませんか!

「桐蔭・萩島、延長12回痛恨のサヨナラ悪送球!」

少しだけ安堵感で緩んでいた僕の胸を、また自責の念が強烈に締め付けます。

僕は各紙に少しずつ目を通すことにしました。

その中には、僕が言ったコメントの一部分だけを切り取って掲載しているものがありました。

延長12回痛恨のサヨナラエラーを犯した、桐蔭・萩島右翼手のコメント:
(甲子園に出場できて)「満足です」

…(>_<)

本当にそんなことを言うと思いますか?

サヨナラエラーした張本人が、そんなこと言いますか!?

僕はコンビニでまた涙が落ちそうになりました。

なかなかコメントが取れない僕に嫌気が差した記者さんの記事なのでしょうが、この記事を見た18歳の僕は、深すぎる心の傷を負いました。

そして宿舎に戻り、最後の全員での記念撮影を終え、新大阪へと向かうバスへと乗り込みます。

実は、この写真を後日頂いたのですが、僕はその写真に映る自分の表情に驚きました。

やりきった感を顔いっぱいに浮かべるメンバー、少しはにかんだような表情のメンバーなどがいる中で、明らかに僕ひとりだけ複雑な表情を浮かべているのです…。

また、この写真を頂いたことで撮影した事実が分かりましたが、実は僕にはこの写真を撮った記憶がないのです。

と言うのも、この日から、僕にはところどころ記憶がない日があるのです。

この日も、宿舎を出発した後、新幹線に乗り、新横浜駅に到着するまでの記憶が全くありません。
寝ていたのか、起きていたのか、誰と喋っていたのかすら…。

しかし、僕の記憶には、新横浜駅に到着した直後からしばらくの間は鮮明にインプットされているのです。

それは、僕にとって、やはり苦しすぎる光景でした…。
(続)

コラムNo.9回は「甲子園って一体…?」をお送りします。
お楽しみに!

この開幕戦の模様をYouTubeにて視聴できます。
このコラムを読んだ後、ぜひご覧ください。

https://youtu.be/GQVK8ZcvJbE