B.B.CLOVERSコラム【甲子園の教訓】 ~New Edition~
No.5 「甲子園開幕戦①」

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さて、コラムNo.4では、開会式から開幕戦を迎えるエピソードをご紹介致しました。
このコラムNo.5では、「甲子園開幕戦①」をご紹介してまいります。

【写真:開会式での桐蔭学園の入場行進】

いよいよ、開会式の朝、すなわち僕たちにとっては甲子園の初戦となる朝を迎えました。
天気は朝から快晴、待ちに待った甲子園の開幕日にはこれ以上ないというほどの天気となりました。

しかし、この「快晴」が後々桐蔭ナインを苦しめることになるとは、この時は考えもしませんでした。

今思えば、「開幕戦」というのは本当にコンディションを整えることが難しい状況にありました。

朝の起床時間も「試合時間」ではなく、「開会式の開始時間」に合わせて調整しなければなりませんし、何よりも試合直前の練習での調整が大変難しかったことを覚えています。

さて、いよいよ開会式が始まります。
バックスクリーンで奏でられるファンファーレが球場内に鳴り響き、49代表校の入場行進が始まりました。

この年は西からの行進となり、桐蔭学園の初戦の対戦相手である沖縄県代表・沖縄尚学高からの入場になります。

そして、石川県代表・星稜高校が入っていきます。
代表旗を持つ松井秀喜主将の高校生離れした体格にスタンドがどよめきます。

さあ、桐蔭ナインの出番です。
この後行われる開幕戦に合わせて、既に3塁側アルプススタンドに陣取った桐蔭の大応援団から大きな歓声が上がります。

そんな中、私はといえば、歓声や大きく跳ね返るブラスバンドの音から行進曲を探し出し、一生懸命隊列を崩さないための掛け声を掛けていました。

その成果が、今回載せた行進時の写真です。
いかがでしょうか?

その入場行進が終わり、49校の整列が完了した時、桐蔭ナインはセンバツ覇者の東東京代表・帝京高校と隣同士となりました。

そして、ちょうど僕の隣には、帝京のエース・三澤 興一投手がいました。

三澤くんは僕に親しげに話しかけてくれ、大会前に行った(前コラム掲載)オープン戦の話などをしていました。

そのオープン戦で、僕は三澤くんと対戦をしたのですが、その僕に対して監督から出されたサインは「スクイズ」。

その僕のスクイズは、彼の見事なまでのフィールディングによりホームでタッチアウトにされていたのです。

この時のことを話すと、三澤くん曰く「少しバントの構えが早かった」のだそうです。
それを見た彼は、咄嗟に投げるコースをバントのしづらいインハイに変えて、強いバントをさせるように仕向けたと涼しげな顔で言うのです。

…( ̄◇ ̄;)
完敗です…。

スクイズ決めきれなかったのは僕の責任ですが、その時点で僕と三澤くんとは考えのレベルが違いました。
さすがプロでも活躍した投手ですね。

最後には、「このあと試合でしょ?辛いな…(苦笑)頑張れよ!」と声を掛けてくれました。

今から5~6年ほど前でしょうか、三澤くんと再会した時に当時の話をしたら「あ~、あの時の!」と覚えていてくれました!
あ、ちなみに開会式中に私語は厳禁ですよ、本当は!(笑)

三澤くんとの楽しい会話のおかげ(笑)であっという間に開会式が終わり、いよいよ試合開始が近づいてきました。

この時点で、気温はおそらくグラウンドレベルでは35℃くらいあったのではないでしょうか。
今では普通になってしまった「猛暑日」ですが、当時ではほとんどなかったと記憶しています。
そんな中、試合に向けた準備が始まります。

2人1組で逆立ちをして、開会式の立ちっぱなしで下半身に溜まった血液を循環させてから、ストレッチをほんの数十秒、ダッシュを軽く1、2本したところで連盟の係の方から「キャッチボール始めて!」と指示が入ります。

「早いな…」

急いでチームメイトの堀内(堀内恒夫前巨人軍監督の息子さんです)とキャッチボールを始めて、1球、2球…。

「沖縄尚学のノックが始まるから、ファールグラウンドでキャッチボールして!」と再度連盟の方からの指示が…。

「むむっ、早すぎる…!!」

これでは、体も肩も十分に出来上がりません。
しかし、これが開幕戦を戦うチームにしか知りえない宿命だったのです。

当然、桐蔭ナインは初めての経験に戸惑います。
そうこうしている間に、桐蔭学園のノックが始まりました。

7分間のノックを終え、ベストコンディションとは言えない桐蔭ナインがベンチ前で円陣を組みます。
そこには、テーピングをグルグル巻きにする痛々しい姿のメンバーもいます。

そうです、前回のコラムの最後でお伝えしましたが、このメンバーの内の数名は、前日の開会式のリハーサルを終えてから極秘裏に新幹線で緊急帰京し、痛み止めの注射及び痛み止めの坐薬を処方してもらっていたのです…。

これには取材陣の関係各社も全く気付いておらず、それほど極秘の行動だったと言えました。
しかし、それは同時に、ケガを抱えるメンバーの状態がそれだけ良くないことを表しているものでもありました。

さらに、甲子園独特の蒸し暑さが彼らの痛む体に追い討ちをかけます。
でも、試合は待ってくれません。

始球式を終えて、4万4千人の大観衆が見守る中、いよいよプレーボールです!

先攻は桐蔭学園。
早速、桐蔭の強力打線が火を吹きます。

ランナー1、2塁から、4番・高橋由伸がライトオーバーの先制タイムリーを放ち、早くも桐蔭が1点を先取します。

この時、僕だけではないと思うのですが、「もしかしたらワンサイドゲームになるのかな…?」と少し感じてしまったことを記憶しています。

しかし、この考えこそが、前回のコラムでお伝えした「リスペクト」が完全に欠けているという証ですよね。

そして、神奈川県大会を強打で勝ち進むにつれて、いつの間にか自分たちの打線に対しての過大評価をしてしまっていたのかもしれません。

桐蔭学園が沖縄尚学への「リスペクト」を欠いてしまったゲームは、まさに一進一退。

1点を先制するも、その裏にすぐに同点に追いつかれ、3回には一旦逆転を許します。

しかし、桐蔭も4回表にすぐさま追いつき、7回には1点を勝ち越します。

7回終了時までに、桐蔭のヒットは9本、沖縄尚学も9本とまさに互角のゲームです。

しかし、ここで「互角」ではない部分が見え隠れし始めました。
それは…。

「暑さへの対応力」でした。

このコラムの冒頭でもお伝えしましたが、この日は酷暑とも言える一日。

イニングを追う毎に、その暑さが桐蔭ナインから徐々に体力を奪っていきます。

一方、沖縄尚学ナインからは、回を重ねていっても、それほど大きな疲労の色を感じないのです。

彼らのプレースタイルもあるのでしょうが、いつでも笑顔がグラウンドやベンチに広がり、余裕を持って、そして甲子園を楽しんでプレーしているように感じました。

これが、間違いなく桐蔭ナインへの「プレッシャー」となりました。

また、これは後で調べて分かったことですが、この試合当日は8月10日でした。
そして、沖縄県の決勝戦は7月19日に行われています。

7月19日というと…。

そうです、その日は桐蔭ナインが神奈川県大会の初戦(2回戦)を戦った日なのです。

この後、桐蔭ナインは12日間に及ぶ激闘を行う中、甲子園出場を早々と決めた沖縄尚学は8月10日の甲子園開幕に向けてじっくりと調整期間に入るわけです。

沖縄尚学のエース・東山投手には肘の不安があると戦前に聞いていましたが、この長い調整期間中でしっかりと癒えたのでしょう。
まさに「尻上り」といえる、素晴らしいピッチングを見せていました。

この調整期間の長さを決して勝敗の言い訳にはしたくありませんが、多くのケガ人を抱えた桐蔭ナインにとっては非常に大きな意味があったと言えるのではないでしょうか…。

そして、試合はいよいよ激動の終盤戦に入っていきました…。

次回はコラムNo.6~甲子園開幕戦②~をお送りします。
次回もお楽しみに!