B.B.CLOVERSコラム【甲子園の教訓】 ~New Edition~
No.4 「開会式から開幕戦へ」

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さて、コラムNo.3では、甲子園練習、運命の抽選会までのエピソードをご紹介致しました。
このコラムNo.4では、「開会式から開幕戦へ」をご紹介してまいります。

【写真:初戦を前にしたチームでの散歩の際、必勝を祈願して立ち寄った地元神社にて】

前回のコラムでお伝えしたとおり、桐蔭学園の初戦はなんとその夏の甲子園開幕戦と決定し、相手は沖縄県代表・沖縄尚学高校と決まりました。

この沖縄尚学ですが、その後、千葉ロッテ・伊志嶺選手(東海大)、ソフトバンク・東浜選手(亜細亜大)、横浜DeNA・嶺井選手(亜細亜大)などを輩出し、センバツでは2度の全国制覇など、現在では全国にその名を広く轟かせておりますが、この時の夏の甲子園出場は実に「30年ぶり2度目」という「快挙」だったのです。

これはこの年の甲子園開幕日の豆知識ですが、実はこの日に行われた3試合の全てに、「30年ぶり出場」の3校(沖縄・沖縄尚学、愛媛・西条、山口・山口鴻城)が登場するという非常に珍しい出来事も起きていました。

この初日の珍しい出来事を見ても、この第74回大会が「波乱の大会」となることの予兆を感じられたのかもしれませんね。

また、この1992年はバルセロナオリンピックが開催された年でもあり、オリンピックの閉幕に合わせて、例年より2日ほど遅れて8月10日の開幕となったことも記憶しております。

さて、開会式直後に開幕戦を行うこととなった桐蔭ナインですが、多くのケガ人が完治せずに相変わらずチーム状態は厳しいものの、初戦突破に向けた準備に入っていきました。

まずは、対戦相手である沖縄尚学高のチーム研究からスタートをしました。

今では様々なメディアが発達し、色々なところから情報を入手できる時代となりましたが、当時は当然ながら、沖縄県大会のビデオ映像を入手することが必要となります。
がしかし、これが困難を極めたことを記憶しております・・・。

たしか、そのビデオが宿舎に届いたのは、試合の2~3日ほど前だったのではなかったでしょうか。

そこには名護高校との決勝を戦う沖縄尚学の各選手が映っておりましたが、正直、あまり特別な印象は抱かなかったことを覚えています。
それは、僕だけでなく、他のメンバー達からも感じ取ることができました。

この時に、なんとなくメンバー間にある気持ちが芽生えたことは間違いないと思います。

「多分、大丈夫かな…」

そうです。
チームに蔓延したのは「油断」でした…。

「相手は関係ありません。自分たちのゲームをすれば結果はついてくると思います。」

これは、多くのスポーツの試合前によく選手たちから聞かれるコメントですよね。

この時の桐蔭ナインの心境も、非常にこの心境に近かったような気がします。

実はこの類のコメント、サッカー日本代表元監督のオシム氏が大変嫌う言葉だということを知りました。

一見、周りに波風を立てることのない、当たり障りのないコメントに映りますよね?

しかし、オシム氏曰く、「自分たちのゲームをするだけというコメントには、相手へのリスペクトが含まれていない。この時点で相手を見下していることになる。」とあります。

このオシム氏の話を聞いた後、私も勘違いしていたことに気づかされました。
なぜ自分たちのゲームをすれば、それがそのゲームに勝利する根拠になるのか…。
確かにそうです。
そういう意味では、とても深い言葉だと思います。

ちなみに、この「リスペクト」という言葉、オシム氏は通常で訳される「尊敬する・尊重する」といった意味では用いず、「すべてを客観的に見通す・客観的な価値を見極める」という意味で用いるそうです。

すなわち、どんなチームが対戦相手であれ、「リスペクト」しないチームに勝者の資格はないということです。
自分のチームの長所を相手チームの短所にぶつけ、相手チームの長所を把握して、その部分を発揮させないようにする。
なるほど、これまた深いですよね。

この時の桐蔭ナインに沖縄尚学への「リスペクト」がしっかりと出来ていれば、試合結果はもしかすると少し違った形になったのかもしれません。

さて、いよいよ開会式、すなわち桐蔭ナインにとっての甲子園初戦が翌日に迫りました。

開会式前日は開会式のリハーサルが行われます。
メインは出場49校で行われる入場行進の練習です。

ブラスバンドの演奏に合わせ、49校が実際に入場行進を行います。

この入場行進、桐蔭学園はその形や隊列の素晴らしさで全国から一目置いて頂いていることをご存知でしょうか?
現在は、試合前のランニングも一つの名物として知られているようですね。

練習を見学に来られる方はあまりいないので、広く知られてはいませんが、実は、桐蔭学園はその「行進練習」を通常の練習後に長時間行うことも決して珍しくないのです。

その分、桐蔭ナインには「行進」に対して、それなりのプレッシャーがのしかかります。

その中で、僕はちょうどメンバーの隊列の中心に位置したこと(さらに声も大きかった!笑)もあり、行進の際の「声出し係」に任命されました。

最初は非常に安易に考えていたのですが、これが実際に甲子園球場内に入って行ってみると、その困難さ故に顔をしかめたことを覚えています。

まず、ブラスバンドの音が甲子園名物のアルプススタンドや銀傘など色々な部分にはね返るため、幾重にもなって音が遅れて聞こえてくるのです。

ここからメインの音を探して、それに合わせて歩調を合わせるための声出しをするわけですが、この声も大観衆が詰めかける開会式ではなかなかメンバー全員に届きません…。

しかし、そこは「そのための練習」をして、数々の修羅場を乗り越えてきているメンバーです。

最後はそれぞれの今までに培った「感覚」などをフル活用して、まずはリハーサルを突破しました。

49校全てが行進練習を終えて、それを見ていた高野連の大会役員の方がそれに対する感想を述べたときのことです。

「みなさん、ぜひ神奈川・桐蔭学園高校のような行進を目指してください!」

これは嬉しかった!
翌日の本番にも非常に自信が持てたことを覚えています。

しかし、私たちは「行進」を披露しに甲子園に来たわけではなく、「甲子園で勝つため」にやってきたはずです。

そして、すぐに気持ちを切り替えました。
いや、切り替えたつもりでした。

この後に知ることとなる、メンバー数名の緊急帰京を知るまでは…。

コラムNo.5は、~甲子園開幕戦~をお送りする予定です。
次回もお楽しみに!