B.B.CLOVERSコラム【甲子園の教訓】 ~New Edition~
No.1 「甲子園へ」

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「100年目の甲子園」がスタートし、非常に注目されていますね。

皆様にご好評をいただいたB.B.CLOVERSコラム【甲子園の教訓】に新たな情報を追加して、~New Edition~として全10回に渡って、お伝えしてまいります。
ぜひお楽しみください!

さて、今から遡ること23年前、神奈川・桐蔭学園高校は1992年・第74回
全国高等学校野球選手権大会に神奈川県代表として出場しました。
コラムNo.1は、その甲子園までの道のりをご紹介してまいります。

【写真:優勝を決めた直後、横浜スタジアムのバックスクリーンに映し出された歓喜の瞬間と高校時代の高橋由伸選手】

当時の神奈川は、202校という全国一の予選参加校に加え、センバツ準優勝の東海大相模高校、同じくセンバツ出場・春季関東大会優勝の横浜高校
など、実力が均衡する大激戦区。

そんな中、桐蔭学園は前年度覇者とはいえ、前年秋4回戦・春決勝戦と、
強敵・横浜の前に屈し、目立った戦績を上げることが出来ずにいました。

そして第1シードとして迎えた夏の県予選、決勝までは12日間で7試合を
こなすという過酷なスケジュールです。

2回戦 vs 市横須賀工 11-0(相模原)
3回戦 vs 県横須賀 11-0(横浜)
4回戦 vs 緑ヶ丘 14-0(川崎)
5回戦 vs 秦野 5-4(保土ヶ谷)
準々決勝 vs 相武台 10-0(平塚)
準決勝 vs 日大藤沢 16-8(横浜)

スコアを見る限りは楽な試合が多く見えますが、本当に「1試合ずつ」厳しい試合を勝ち上がって迎えた運命の決勝戦、相手はそれまで連敗している因縁の相手・横浜高校。

これもいわゆる「野球の神様」の悪戯なのでしょう。
僕たちメンバーは、「3度目の正直で横浜を上回って甲子園に行こう !」と
朝から気持ちを奮い立たせていたことを思い出します。

しかし、相手もその後プロ入りする選手を5名以上擁する超名門校、
もちろん簡単には勝たせてくれません。

試合は当初の予想通りの大激戦、桐蔭が初回に3点を先制するも、2回には横浜が早くも逆転し3-4、その後桐蔭も再逆転し一時は8-4と4点差をつけるものの、6回に一気に4点を返され同点で8-8、両校全く譲らない激しい攻防が続きます。

そして迎えた運命の8回表、桐蔭は無死一、三塁のチャンスをつかみ、
バッターボックスには4番・高橋由伸(読売ジャイアンツ)。

この時ベンチにいた私は、生まれて初めて「心臓が口から飛び出してしまう!」というほどの鼓動の速さで、由伸のバッターボックスを見守っていたことを、今でも鮮明に覚えています。

そして!
由伸がその期待通りに、鮮やかな流し打ちでレフト線にツーベースヒットを放ち、これが桐蔭を甲子園へと導く決勝点になりました。

その決勝点をマウンドで守り抜いたのも守護神・高橋由伸。
強打・横浜高校を3イニング被安打1と完全に封じ込めました。
最後は由伸がマウンド上で歓喜のガッツポーズ!
桐蔭学園高校が2年連続4回目の甲子園出場を果たした瞬間です。

やっぱり、スーパースターはこの時から「持ってる」のですね。
納得です。

実はこの夏の神奈川大会2連覇という記録は、1990年以降、91・92年の桐蔭学園、00・01年の横浜高校、そして14・15年(今大会)の東海大相模のみが持つ記録なのです。

この1992年に凌ぎを削って戦った3校だけが持つこの記録、やっぱり
「何かある」のでしょうね。
非常に興味深いです。

次回のコラムは、No.2 ~甲子園入り~をお送りします。
お楽しみに!